ナリッシュ ミュージアム|本質へと養われゆく、慈愛と成長の博物館
nourish museum
- 「信仰」と「信仰心」と「マインド信仰」の違い。
- ▽大事なトリグナ[三つの性質からなる側面]
「信仰」と「信仰心」と「マインド信仰」の違い。
「宗教」と「特定の宗教団体」と「宗教アレルギー」の違い。
この気付きが肝要です。
まずは、「宗教」と「特定の宗教団体」と「宗教アレルギー」の違いです。
「宗教」という言葉を聞くだけで、「宗教アレルギー」の過剰防衛反応をする人がいますが、
恐らく過去に、「特定の宗教団体」の悪い噂が、トラウマ(強烈な印象)になっていると思います。
この「異なる三つの事象」が、「一緒くたに混乱」していると、「強い自己防衛反応」となってしまいます。
例えば小学生に、いきなり大学の高等数学を伝えようとすると、「無知な虐待(クオリティ ハラスメント)」になってしまうのです。
「本質的な宗教(例えば、ブッダなどの悟り)」とは、「見えないものや、見え難いもの(見えるものを支えている本質の世界への科学)を信じる、とてもシンプルな学び」です。
ですから例えば、見え難い量子力学の世界を信じる事も、一つの立派な信仰なのです。
自分の肉体や心、空間や空気や星や宇宙も、自分でその存在を維持しようと頑張らなくても、強制的に支えられ存在足らしめられています。いったい何が空間を維持し、支えているのでしょうか。
そこには、見えないけれど守られている偉大な仕組み(厳然たる事実、育む慈愛)がある訳です。
例えば、今この場の空間が無くなるかも知れないと心配している人は少ないと思います。
それは無意識では、「常に空間はあるんだ(利用可能なんだ)」と、支え続けられて安心を頂いている、見えない仕組みがあるのです。
次に、「信仰(名詞的)」と「信仰心(動詞的)」と「マインド信仰」の違いです。
「信仰(信じているものとの一体化)」、「信仰心(信じている対象へ向かう素直さ)」、「マインド信仰(心での理解と想像を信仰しているチャンネリング)」
一般的に人は、自分の心(価値観)を信じて、自分の心と一体化しているので、「自分信仰」と言えます。
また、狭い「自分信仰」から、広い「より高次な信仰対象」へと向かう素直な心が「本来の信仰心」です。
ですので、「本質を信仰(本質と一体化)」できたら「悟り」となり、
少しずつ、「より高次な信仰対象」へと引っ越し(成長と進化の祝福)を繰り返して、
最終的に「本質へと向かう素直な心」が、「本来の信仰心」となります。
厄介なのが、「マインド信仰(悪魔的)」です。
「ベースのフィールド(根っこ)」に、不自然な欲望のパワー(偽りの自分、不自然なエゴの心との一体化)があり、素直な心でより高次な対象を信仰するのではなく、「偽りの心での、高次への理解と想像」を信仰しているチャンネリング(不自然なチャンネル合わせ)です。
宗教アレルギーではないのに、「特定の宗教団体」の雰囲気が、何やら怪しいオーラを放っていると直感的に感じるのは、これが原因かも知れません。
本来は何生も掛けて少しずつ、自分の内側から自然と理解が進むべき学びですが、
「深い理解のパワー」との「縁」からの理解もまた、成長が促進されゆく、
学ぶべき時期の訪れ(この世界からの祝福のタイミング)とも言えるのではないでしょうか。
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